広島平和記念公園の慰霊碑には、日本語で「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」という言葉が刻まれている。この言葉が生まれたきっかけは、浜井信三広島市長が1950年、スイスのコーで開催されたMRA(現在のIC)世界大会で、ドイツ人とフランス人の劇的な和解を目の当たりにしたことにある。この深いメッセージは、当時と同様に今日にも意味あるものである。
彼は日本の政界、財界、労働界のリーダー約70人からなる代表団のメンバーであった。日本は連合国の占領下にあり、マッカーサー将軍の許可を得て戦後初めて出国を許された大型代表団であった。この中には、7人の国会議員、原爆が投下された広島と長崎の知事と市長が含まれていた。
コーではMRAの創始者フランク・ブッフマン博士と数百人の参加者が日本人を歓迎した。国際コーラスが日本語の歌を歌い、日本国内では許されていなかった日の丸が掲揚されていた。
労働組合のリーダーである井岡大治は「わが国は、世界中に大きな苦しみをもたらした戦争への道を歩みました。敵としての扱いを受けることを十分に予想していましたが、温かく歓迎されました」と述べた。浜井市長は「誰も間違いをとがめられることはありません。ここでは、"ごめんなさい"、"私が間違っていました"、"ありがとうございます "という言葉しかありませんでした」と述べた。
一行がコーに滞在中に北朝鮮が韓国に侵攻し、本格的な戦争が始まった。このため、代表団の何人かは帰国すべきだと思ったが、最終的には全員が旅を続行することを決めた。一行はコーから西側の戦勝国と敗戦国とを訪ねた。ローマ教皇ピウス12世、ドイツのコンラッド・アデナウアー首相、フランスのロベール・シューマン外相、ロンドンのローランド市長、そして多くの政治家や市民社会のリーダーたちと会談した。浜井市長は、被爆した樹齢400年の楠から彫られた十字架を訪問先で贈呈した。
米国上院では、吉田茂首相の代理として栗山長次郎議員が演説した。「ほぼ1世紀にもわたる日米両国の友好関係を日本が破ってしまったことは、まことに遺憾です。われわれが犯したこの大きな過ちにもかかわらず、寛大なアメリカは日本を許し、日本の存続を認めるだけでなく、復興を支援してくれています」と述べた。これに対しニューヨーク・タイムズ紙はこう報じた。「広島と長崎に原爆が投下されてからわずか5年足らずのうちに.....一行の中には.広島と長崎の市長の姿もあった。この二人も許すべき何かを感じてくれたとすれば、それは大変な奇跡といえよう」
浜井市長は、アーリントン国立墓地の無名兵士の慰霊碑を訪れた後、広島に慰霊碑を建設することを決意した。ロサンゼルスでの広島の日5周年にあたる8月6日、CBSラジオのインタビューで彼はこう語った。「私たちが世界に求める唯一のことは、広島に何が起こったかを知ってもらい、同じことが他のいかなる場所でも二度と起こらないようにあらゆる努力を払うことです。生き残った市民に残された唯一の夢と希望は、広島を平和のモデル都市として再建することです」
そして1952年、広島平和記念公園が建設された。そこには「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」という言葉が刻まれているが、これはアメリカだけでなく日本にも責任があるという意味である。日本にも責任があるということに対する批判に対して彼はこう答えた。「私自身が被爆した。世界の終わりかもしれないと思った。誰の責任かを詮索するよりも、このような恐ろしいことは二度と起こしてはならないという強い思いを抱いた」
2023年5月、広島でG7首脳によるサミットが予定されている折、私は、浜井市長が1950年に訪問した7カ国の首脳に、慰霊碑の背後にあるストーリーが伝えられるべきであると考えた。1950年のコー訪問団の一員であった中曽根康弘元首相の子息である中曽根弘文元外相は、サミットの直前に私を岸田文雄首相に引き合わせてくれた。
私はこのストーリーを説明するとともに、首脳たちに、市の公式な英訳である「We shall not repeat the evil」ではなく、「We shall not make the same mistake again」という碑文の原文に忠実な訳を伝えるべきだと首相に提案した。私の主旨は、核兵器を保有するG7諸国の中には、「evil (悪)」と表現されることを好まない首脳もいる筈だということであった。ロシアのプーチン大統領は、ウクライナとの戦争をファシズムの悪との戦いとして正当化していたからである。結局、松井一實広島市長が慰霊碑について首脳たちに説明した際、通訳は「evil 悪」ではなく「mistake 過ち」と訳した。
岸田首相は首脳たちに慰霊碑の背後にある精神を説明したと伝えられている。その結果が、バイデン大統領が平和記念資料館のゲストブックに記帳した以下の言葉である。「この資料館で語られる物語が、平和な未来を築くことへの私たち全員の義務を思い出させてくれますように。世界から核兵器を最終的に、そして、永久になくせる日に向けて、共に進んでいきましょう。信念を貫きましょう!」
1950年にコーの魔法が働いた。今年、この同じ精神が、G7の指導者たちだけでなく、国連、EU、ウクライナ、インド、ブラジル、韓国、インドネシア、オーストラリア、コモロ連合、クック諸島の指導者たちにも伝えられた。核の脅威が高まる中、私はヒロシマの精神を世界に伝え続けていくつもりである。For A New World は、こうした過去と現在をつなぐ架け橋である。
注:詳細については、以下の関連コンテンツを参照下さい。